デッサンモデルをした話

私が絵の中の一部になったと自分が認識した時 デッケー多幸感に包まれる 動かないように、一点を見つめているとその周りが少しずつ白く曇り始めて、私が背景で、平面になったとき私も無我の境地にいて、楽しんごだ 

そして描かれたものをみる 各人間が私に世界最高水準で集中して私という存在を浮かび上がらせてくれていた これは救いなのかもしれない 埋もれた私を光で救ってくれてるのかと そうなった時 書く側と見る側と描かれる側が全部一緒くたになってまとまって 嬉しい

彼らの視線が私の全ての輪郭や肉を認識しようとしてることに偏狂的な屈折した自己愛が完結されるように感じる これを自分でやりたい

 

座って、あれっ、左手どういう形だったっけって思った瞬間に気付いた 書く側はこっち側になんの干渉もできないのかもしれないと 迷惑極まりないが少し顎の角度を変えてみても特に何も言われなかった あたりまえのことなのかもしれないけど

描く側にとっての話で絵を描くという生活の一部の中の一部の中の一部になったとき、社会の歯車として生きれたのだという達成感を感じた つまり、いつでも私は変わりたいと思っていながら、人間として誰かの一部になることをうけいれようとしてた